2016年12月26日

旅立ち


今日、いつも通りに朝起きた。

いつも通り、朝食をとり

いつも通り身支度を整える。

いつも繰り返されてきたありふれた日常。

師走も大詰めだが、今日は月曜日。

父親は、仕事へ行く準備。

母親は父の弁当作りや家事を淡々とこなしていた。

が、今日は、そんないつもな毎日がそうでなくなる

日だ。

 そう、今日は新しい旅立ちの日。

普段、ほとんど会話の無い親父が言う。

『今日、出てくのか?』

『気をつけて行ってこい』

『いつでも戻ってこいよ』

と。

母親も心配してるだろうが、気丈にも

明るく、見送ってくれた。

いざ、支度をして、愛車に跨がって漕ぎ始めるまで

なにか、もやもやとした不安な気持ちで一杯だった。

8年前もそんな気持ちでいただろうか?

あれからもうそんなに月日が流れたのか?

あの頃は、自転車で世界を旅するなんて言う夢のような

話に浮かれて、それどころでは無かったような気がする

旅が終わって4年10ヶ月。

それから、また、旅のスタート地点に戻ってこられた

ことをとても感謝している。

やりたいことをやりたいのに、出来ないで人生を終える

人間も居る、そんな中、僕はやりたいことが、色々

な条件や、協力のおかげで出来るところに立てている。

 今日はそんな、記念すべき日。

実際の日本出発は29日、大阪。

その始まりの地まで自宅から

チャリで走って行くことにした。

今日は、先ず凡そ100キロ先の滋賀までの予定

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この旅のため新しく新調した装備品を全部詰め込んで

出来上がった相棒の勇姿。


先ずは20キロ程走って

お隣の岐阜市のJR岐阜駅へ

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金の御館様(信長公)像をバックに。

午前中、順調に走って、

垂井町までやってきたここまで50キロ。

朝、7時半に出てきたから大分距離も稼げた。

それに、先の小田原行きでかなり体が出来ていた

ようだ。昼食を相川という川のほとりで

インスタントラーメンを作って食べ。

午後も旧中山道をメインに走って順調に

進む。

 今日の最大の目的は、以前お世話になった

多賀町という彦根のとなりにある街の蕎麦屋

さんで、ちょっと早いけど年越し蕎麦を食べる

こと。

 3時そこそこに無事目的地へ。

しかし、体ができているのか?軽いし疲れないし、踏み込める。

さてさて、早速、お蕎麦だ、お蕎麦だ。

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大将の店、そば吉。

先ずはもりそばの大盛りを丼に、天かすを

もらってぶっかけで。
 
 メニューには無いが、いつもこのスタイルが好きで

ぼくは頼む。

おくさんや大将と

旅の話や、身の回りの出来事を話し込む

おかわりで

これ

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大好きな鴨南蛮そば。

美味しい年越し蕎麦になった。





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2016年12月18日

小田原でブラタモリ


小田原での最後の一日。

色々な都合で、友人の家で一人で過ごすことになった。

小田原の名物、かまぼこ。

の揚げたてを食べさせてくれる店があると聞いていた。

ので、是非食べに行こうと思っていたその日。

 ブラタモリという甘い誘惑が。

友人宅のHDレコーダーのテレビの過去録画に

何回分だろう?1年くらい前の回からの

ブラタモリ、小田原編からの過去録画があった。

自由に見ていいと言われていたし、見てから観光に

行ったら面白いと言われていたので

見ることに。

見出したら最後。

沈没モード。

ブラタモリ。

ヤバい。

面白い。

結局、

最後の日は

10回分くらいあった

録画をコンプリート。

さらに

病の起源全5回分も

制覇。

結局、かまぼこ食べに行かず。

スーパーに買い出しに行っただけで

ずーっとNHKで休日。

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あ、ちゃんと小田原城は

前日に行ってきましたけど。

*向こうに見える山が箱根峠、再び明日、越えます。
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2016年12月12日

東へ



無事、今回、最初の訪問国である中国のビザも

手に入れて、旅の準備も大詰め。

一度実際旅に出て走る装備品をすべてそろえて

走ってみないと。

先の旅から帰国してもうすぐ5年経とうとしている。

仕事で、体を動かしてはいたが、チャリを漕ぐ筋力、体力は

別だ。

ということで、予行練習もかねて神奈川の友人宅までフルパッキング

で向かうことに。

 今回、リア(後ろに)つけるサイドバッグを一回り

大きいものに新調したので、かなりの容量アップ。

南米で重量MAXになっていた頃に比べると未だ少し軽い

気がするけど、それに近い重量のようだ。

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こんな感じ。

久々に跨がるフルパッキングチャリは

ハンドルを取られてヨロヨロする。

そう!コレだ!この感覚!

沈没上がりに体感するあの懐かしい感覚!

今回の目的地は、小田原。

アメリカ大陸縦断旅のおり、

アラスカで知り合った自転車乗りの盟友に会いに。

彼は、その後6年旅を続け、旅で知り合った人と

帰国後結婚して、もうすぐパパに。

という目出たい時期に会いに行くことに。

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2日目はヘロヘロになりながら、100キロ程走って、暗くなってしまった。

所に良さげな河原が出現で、ここでキャンプすることに。

連日晴天が続いて12月とは思えない程日中は暖かく、

自転車日和。

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岐阜から愛知

そして静岡と駒を進め、

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3日目は清水まで130キロ越え。

走行の勘も大夫取り戻してきた。

4日目の夕方到着予定だったけど、この日の

後半、最後には箱根峠が。

凡そ標高850M程。

南米走ってるときは、余裕の峠も

体力が凡人化してしまった今は

かなり難ルート。

夕方暗くなる頃にまだ、400M地点。

半分しか登ってない!

焦りつつも暗くなった道をライトを照らしながらの

走行は、多分旅を始めてから初。

その後2時間弱かけて。。。

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箱根峠、制した!

止まること無く漕ぎ続けられて

大分、勘がもどってきたかな?
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2016年12月01日

新しい旅立ち

2016年も師走

2年半の長い充電生活もやっと先日最終日を迎えた。
結局、本業の工場は1年派遣で働いて、その後工場側に直接交渉
して直接契約の後1年半程。
 そして副業の新聞配達は11ヶ月程働いた。ダブルワークを始めて
からの凡そ1年は毎日がジェットコースターのような日々で、自分の時間が
持てない、疲労蓄積の毎日が続き、特に本業が繁忙期を迎えた夏頃は
精神的にかなり病んでいた時期もあったが、なんとか気力で乗り越え
後半は近づく夜明けに希望を膨らませ淡々と業務をこなしていた。
最後の2ヶ月は引き継ぎの人員の指導に廻ってだいぶ、肉体的に楽になって
ラストスパート。

そして、12月を迎えた。

2年半居た職場は、先の旅に想いを馳せ、我慢に我慢を重ねてやってきた毎日
であったけれども、「もう、終わる」と思うと、なぜか少しどこか、寂しく感じ
た。おそらく、それだけ一所懸命頑張った証なんだろう。
 工場の上司は「いつでも帰ってこい」と、「12月もまだ日本に居るなら、暇な時
があったら、いつでも来て少しでも稼いで行ってくれ」と言ってくれた。

さあ、今月から新しい旅立ち。

来月には、新年早々、表舞台に返り咲く時。

この日をどれだけ夢見て突っ走ってきただろう?

一つ一つ準備を積み重ね、

後もう少し。

と、ここで新しい旅立ちへの鍵の重要な一つがやってきた。
2週間程前に、代行業者に依頼していたビザ

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無事ゲットで

また一つ、扉が開いた。

まだ、自分の時間がある生活が始まったばかりでうまく乗りこなせて
無いけど、そのうち感覚を取り戻すだろう。



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2016年10月16日

新しい道


2012年3月3日。

帰国してからもう4年7ヶ月。

2009年6月末にスタートした世界ツアー。

旅の期間中も実に色々な出来事があった。

2年8ヶ月の旅、最初に描いた絵面にはまだ、半分も

到達していなかった。それに、資金もまだ半分残しての帰国だった。

あの時の僕は、一旦帰国する選択をした。

今思えば、時節も、資金も健康も、年齢もすべて、

描いた夢を続けることが出来る条件が揃っているという

のに、描いた夢を中途で辞めるという決断を下した。

それは長旅の中だるみであったろうし、寂しさであったろうし、

将来に対する不安であったろうし、現実からの(旅が毎日、旅が

現実)の逃避だった。

 帰国してから、2年程、自分なりに進む道について悩み、試行錯誤していた。

が、なにかこう、しっくり来ない青写真であったり、苦し紛れに選択してみた

あまり興味の無い道であったり、結局うまく行かず、

そんな道だったから行くはずも無く。

そんなとき自分に正直になって問いただした。

何がしたいのか?

 自分が生まれて初めて、感じたあの「生きてる!!」という感覚、圧倒的な達成感、

改めて感じる自然の雄大さ、美しさ、数々の『出逢い』と別れ。

 僕はあの期間の間は間違いなく、自分史上いちばん若く、力強く、輝いていた。

年月は、気がつけば、思いも寄らないスピードで過ぎて行き、

やがて、いつか、昔の自分なら難なく出来ていた、やろうと思えば出来る

要件を満たしていたのに、出来なくなる時がやってくる。

それが、いつなのかは分からない。しかし、確実にやってくる。

 そう、思った時、本当の後悔を知ることとなった。

よく、同じ後悔するなら、やらないで後悔するより、やって後悔するほうがいいと言う。


 あの時、自分でやらない選択をした、あれからもう5年弱経とうとしている。

あの頃より時は流れ、歳をとった。なぜ、あの時続けていなかったのだろう?やり切って

帰国したならば、次の道でまた夢がみれただろうに。やりきれるかどうか分からないけど、

やれるだけ、余力を残さずにやりたい道をやりきってたら、後悔するようなことがもし

出てきたとしても、納得出来ると思う。

『俺は、やりきった』

と。

 そうだ、未だ今なら間に合う、今なら未だ出来る、チャレンジ出来る、もう一度、

あの場へ戻ろう、あの、熱くたぎる毎日に。めくるめく美しい絶景に。名も知らない辺境の街へ

旅ならではの縁のある出会いを求めて。全身を使って自分の足で進む最高に贅沢な旅。走行の後のうまい飯と

酒。

 そう、思ってからの2年4ヶ月だった。長かったけど、もう、あと2ヶ月半!


2017年1月から、チャリ旅、いよいよ再開です!!

 

始まりの地は 中国、上海。 ユーラシア西方遠征編の始まりまでもう少し

今度は悔いの無いようやりきってきます!
posted by yutaka at 19:46| Comment(0) | 日本

2016年02月07日

一期一会


2016年もついこないだ幕を開けたと思ったところ

もう、2月も1週が過ぎて行った。

この調子で行けば、旅の再開もあっという間に

なんてなるんだろう。

 副業も始まって丁度、1ヶ月。体も慣れてきた頃

と思っていたら、油断?したのか、体調を崩してしまい。

38.9度の発熱。

 体調管理には気を配っていたのに。疲れがたまってきていたのか

いやはや。。。。

 寝込むこと2日。でなんとか前線復帰して週末を迎えた。

ま、週末といっても、副業の方は不定期に休みがあるので

この週末は休みではない。

 本業の方は昨年よりも忙しく、本来なら暇なはずの1月から

既に残業が増え始め、今はフル残業モードで土曜も出勤といった

感じなので、いかんせん自分の時間が無く。

マシーンのようにひたすら動く。

 ま、これも一生のうち、1回だけ。最初で最後と思えば

あと、10ヶ月弱。頑張れるだろうけど。

 なかなか、精神的に病んできそうだ。笑

うまく、自分の時間を作って、リセットしてこうと思う。

そんな、今日この頃、

 南米のペルー、リマでお世話になった、定宿のオーナーの

宏子さんが亡くなられたという訃報が届いた。

 旅を再開したら、ぜったいに会いに行こう、また、宏子節を

聞きながら一緒にNHKみたり、おしゃべりしたいなあ、って

おもっていた。宏子さんの宿はとても居心地がよく、はじめリマ

へ行った時は3週間、そして旅を終え帰国する前に2週間と

滞在させてもらった。 ロケーションが抜群で

リマの下町の風が感じられる大好きな場所だった。

また、会いに行けると思って、それを疑いもしてなかっただけに

本当に言葉も無い。

 ご主人のホルヘさんも本当に気さくないい人で、よくしてくれた。

愛する人を失った悲しみは、どれほど深いのだろう。

今は、ただ、彼女のご冥福を祈るしかできない。

再会する約束、逝くまえに、行けなくてごめんなさい。

人生、一期一会ということを、改めて、教えていただきました。

いまは、ただ、安らかな眠りを。。。。。

!Què descanse en paz!
posted by yutaka at 15:28| Comment(0) | 日本

2016年01月09日

活躍的初代相棒!

副業を開始してから未だ数日

最初なのでルーティイングやら配布宅

やらを店長に同行して教えてもらっている。

浪人時代に小遣い稼ぎでやっていた、

昔のことを思い出す。

当時、北朝鮮の金日成が死亡したという

ニュースが一面にでかでかと載った朝刊を

配達し、時代が大きく動いているのを肌で感じた

のをよく覚えている。Wikipediaで調べたら、

1994年。何と、22年前。苦笑

なんと年月の早いことか。。。。

さて、

 出勤場所へ向かうまで、車を使うほど遠くないし

節約のために、足に自転車を使うことにした。

しかし、旅の相棒である現役チャリはとても心配で

乗って行って置いておけないので、チャリ旅に目覚めた

頃にネットで購入した初代が家で眠っていた。

それを長い眠りから起こす時が来た。

 それがこちら

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丸石サイクルのエンペラーツーリングマスター!!

完成車で販売されている昔懐かしいランドナーで

ツーリング向けのクロモリバイクである。

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これに、これまた最初に購入したオーストリッチの

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鞄を取り付け、鍵やちょっとした小物入れに。

もちろんキャリアは日東のキャンピー。

僕はこれで旅に出ようとして、先輩旅行者に

相談したら、部品の入手の面や使い勝手の面で

長期海外ツーリングには向いてないと教えられ

現在の相棒をオーダーで作った。

実際に旅に出てみると、確かにそうだった。

が、逆にこれで旅してる友人も知っている代物。

しばらく、お世話になりまーす。
posted by yutaka at 11:37| Comment(2) | 日本

2016年01月06日

20年前にとった杵柄

年末のことだった。

無料配布地方情報雑誌を見ていたとき

求人募集の欄を何の気なしにめくっていると、

新聞配達の求人募集が目に留まった。

 資金稼ぎ中の今の身には、空いた時間がお金に換わる

のは魅力に思えた。

 資金の方もそれなりに貯まってはきたが、まだまだ残りの大陸を

満喫するにはほど遠い、し、何よりも、本業を始めて1年半。

ある目的のために、今ある毎日を犠牲にして禁欲生活をしつつ

いつか来るであろう未来のために生きるのは、たとえ大好きなものの

ためとはいえしんどいものだということは

経験したものならば分かることだと思う。

 旅の記憶は日ごとに色あせて行き、

残るものは憧憬と焦りとつらさになり始めて

いた頃だった。

 早く区切りをつけないと!そう思っていた矢先の、

このタイミングでの話だった。

 しかも、前から、ラストスパートをかけるべく

副業を模索していて、新年から始めよう、

なんて思っていたので、すぐに連絡した。

先方も、早く人を捜してたため、2つ返事

状態。期間も1年もできないこともOKして

くれた。何事も『動けば出会う』を実感

した。今年は再始動の年になりそうです!!
posted by yutaka at 04:00| Comment(0) | 日本

2015年12月31日

新しい年

2015年も今日で最後。

今年はひたすら仕事。

の年だったと振り返る

資金稼ぎ開始から1年半。

チャリ旅への想いをあまり考えないように

している。解き開いてしまえば、毎日の道程が

もどかしく、イライラして、ストレスになってしまうから。

想いを封印して、帰国して何年だろう?

現実に行ってきた3年弱の旅が

白昼夢のようになり、幻のようになり、

過ぎて行く年月に、複雑なおもいに駆られ。

 でも、忘れていない。

あの感覚、あの興奮、あの、みなぎる力。

さて、来年は忙しくなりそうです。

時は待ってくれません。人生は一回しかありません。

その、一回だけの本番で行きたい道にチャレンジできてますか?

僕はできているかどうか分かりませんが、安心を求めるあまり、既存の

心もときめかない道を、ゾンビのように漫然と進むことだけはしたくないと

思ってます。動けば出会うと信じています。

 たとえ、今は頑張って、我慢して、いつかやってくる日を待ち望んでいたとしても、

その日を決めて、それに向かって計画し、実現のために動きます。

 と、なんかとりとめもない話を書きましたが、

とにかく来年は勝負の年、それに1976年生まれの私にとって節目の年です。

 皆さん、良いお年を〜!!
posted by yutaka at 12:09| Comment(0) | 日本

2015年07月12日

最強テント!!

旅で使う予定のテント新調しました!

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Hillebergの Brack Lavelのモデルの Staika!!

メーカーのHPの記述では最強テント(の一つ)らしいです。

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2人用で出入り口が2つあり

それぞれにかなり広く荷物収納可能な前室が付いてます

入り口が2つあるおかげで通気性がかなり良いです。

生地も市販のテントの5〜6倍の引裂強度18kgあるものを採用

しているらしく作りもかなりしっかりしています。

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今回は自宅の裏で試し張りでしたが、早くバックカントリーで愛車を脇にキャンプ

したくなる一品です。


こんな風に!

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これは前回の旅でボリビアのウユニ塩湖での一枚。
posted by yutaka at 18:49| Comment(2) | 日本

2014年12月31日

あたらしいとし

2014年も残すところあとすこしですね。

帰国して、はや2年と10ヶ月。

旅の期間が2年8ヶ月だったので

日本での沈没がそれを超えてしまいました。

帰国してからも、いろいろありまして、良いも悪いも何でもかんでも。

相変わらず、迷走?しておりましたが、、、、

今年、やっと旅を再開すると決意いたしまして、

資金及び充電生活に入りました。

 30代も終わりに近づき、切に感じるのは人生の短さ

生きとし生けるものは、等しく、この世に生を受けた瞬間から、

死に向かってその自身の命のロウソクに灯をともし始め、

確実に終わりに向かって時を刻み始めます。

誰しもが逃れることのできない真実。

誰もが、通る道。

そう思うと、その点では平等なんだなあ、と

人生は短い。悔いを残すことのないよう、

精一杯、生きたい道を生きようと思うこの頃。

旅立ちの日はもう少し先ですが、日本での滞在を今しばらく

満喫しつつ、充電してゆきたいです。

さて2015年はどんな年になりますやら

新しいことにも挑戦していけたらなんて

では、よいお年を!!
posted by yutaka at 11:07| Comment(0) | 日本

2014年09月27日

!Debe de poder carentarse màs!

働き始めて4ヶ月がすぎようとしている。

新しく派遣で入った市内の板金加工工場が

激務の忙しさということで

7、8、9月と

毎日夜8時まで、プラス土曜の休日出勤

で暇がないくらい。精神的にも肉体的にも

病みかけだったが、その忙しさも

いきなり収束をみせ始めたらしく。。。。

これから暇になるという。

ん〜。暇になるのはいいが、

実入りが減ってしまう。

切実な悩みの種を抱えながら。

 初秋の夜長の始まりを、

趣味が夜更かしという、家の愛猫と

ワイン片手に過ごす日々です。

 しかし、3年は長い。

意外に長い!

しかし、一度きりの人生、

もっと、熱くなれるはずだ!

 旅の記憶が頭をかすめるたびに

勇気と元気、もらいます。

posted by yutaka at 16:12| Comment(6) | 日本

2014年06月15日

永遠の旅人


さて、6月から働き始めて2週間が過ぎた。

フルタイムで社会人をやるのも実に5年ぶり。

その上、今度の業種は某自動車製造関係で

連続2交代制の肉体労働系

ということもあり、

しかも赴任最初の週はいきなりの

夜勤スタートで

最初の1週間はかなりきつかった。

仕事もまた、覚えるまで暫く精神的にも

きつく、ストレスがたまる。

久しぶりの土日で

自転車を用意して

一泊二日のショートトリップに

駆り出した。

 ワールドツアーに出かける前は

たまの休みにあわせてこうして

テント、寝袋、炊事道具を積んで

一泊二日でチャリ旅したものだった。

 今回の目的地はおよそ76キロ先の

福井県の九頭竜湖。

ここは初めて自転車を買って、キャンプ道具

積んで行った原初の地。

 岐阜県側はずーっと緩やかに長良川沿い

標高を370メートルくらいまで上げていき

(家が大体、標高76メートル)

最後に油坂峠、標高750メートルまで

およそ400メートルを上る

旅を始めたころにはこの工程は

地獄のように、心臓破りの

坂だった記憶。

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坂の中腹は眼下に白鳥の町を見下ろせ

景色がいい。

 しかし、こうしてチャリを駆って

いると、いやでも、ワールドツアー

の記憶が、断片的にフラッシュバック

する。この景色は、北米で見たのに似ている

とか、ああ、メキシコではこうだった、とか、

南米のチリではどうだったとか。。。。

 一度旅人となり、旅に魅せられた人間は、

一生、旅人なんだろう。

 Para siempre permanecera un viajero si una vez

viaje y se de cuenta de lo estupendo de viajar.


特に、チャリ旅は。

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旅にでる前のことを思い出していた。

世の中の、自然の美しさ、色鮮やかさ、

その中を自分の体を使って前進してゆく。

ゆっくりと、確実に。

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 空の青さ

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山々や植物のあでやかな姿

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流れる川の涼やかさ

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歴史と文化の重厚さ

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チャリ旅は

 まさに贅沢な旅の手段に他ならない

と思う。

 ごらん、世界はこんなにも美しく

 素晴らしい




7年前の僕に響いていた。

 
posted by yutaka at 19:57| Comment(1) | 日本

2014年06月02日

5年ぶり


 仕事もやっと決まり、6月の第1週目から

初出勤となった。

 実にフルタイムで働くのは5年ぶりだ。

前回のチャリ旅へ出るために、5年前の4月で

前の会社を退職し、6月の27日に一路アラスカへ

と旅立ったのが遠くもあり、近くもある昔。

 あの時、世界一周のつもりで、長期の旅行保険

を探して、5年の物件を契約して旅立った。

保険が切れるなり、旅を完結するなりして

戻ったとしたら、今時分に戻ってきたんやなぁ

なんて思うとなぜか、感慨深い。

 これからは、何事も、一期一会。

と思って、全力で、一生懸命、何事も取り組んで

旅の準備をしたい。

 ちょっと、仕事まで時間があったので

自転車に乗ってふらっと、近場へ。

今回は、往復50キロ強くらいの

八百津の蘇水峡へ。。。

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 6月も始まったばかりだというのに、

まるで真夏日のような日差し。

が、しかし、自転車で風を切って

走っていると、ぜんぜん涼しく、

快適だ。むしろ、南米の丁度

真夏を走った、チリ、アルゼンチン

の日々には遠く及ばない暑さだ。

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 意外と近場でもこんなきれいな景色に出会えるものだ。

ここら兼山町は、あの戦国武将、

森蘭丸 生誕の地としても有名な場所で

さらに、その先の八百津町は、

第2次世界大戦下、リトアニアの領事館で

人道からポーランドからの難民に大量のビザを

発給し、6000人に上る避難民を救った

外交官、杉原千畝先生の生まれ故郷でもある

という、由緒のある場所だ。

 他にも、明治時代に建てられたという

旧八百津発電所の本館等が今も資料館として

残っていたりする。

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 こうして、自転車で自分の力で、目的地を決めて

すすんでゆく。景色を愛でながら、

風を感じ、太陽、季節を感じながら。

疲れたら、木陰で休み

水を飲む

ただの水がこんなにうまい瞬間は他に

あるだろうか?

 昼は、最寄のスーパーで惣菜やビール

を買って、目的地へ。

 昼食タイム。

こんなにうまい飯と昼ビール。

他にあるだろうか?

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posted by yutaka at 09:29| Comment(0) | 日本

2014年05月28日

就職活動最前線 後編


 再び後日、関西へ。

指定された場所の指定された時間帯に

片道3時間強かけて赴いた。


服装は、やっぱスーツかぁ

と思っていたが、友達曰く、

スーツはダメだ

とのこと。それに

ダイハツに直接雇用してもらわないとダメ

とのこと。

 ようは間に業者が噛むと、マージンを取られて

そんをするから。

でも、今はどこのメーカーも業者を通しての応募でも

直接雇用のスタイルをとっているようだ。

面接会場はとある文化センターの一室

面接官2人がそれぞれ1人ずつ同時に、同じ部屋で

面接するスタイル。

僕より先にスーツをバッチリ着込んだすらりとした

30前後の青年が面接を受けていた。

 履歴書を差し出し、面接官がいろいろと

質問する。一通り質問終わると、

僕の面接官は仕事のきつさを懇々と話し出した。

それで、

あなたに出来ますか?

と何度も聞いてくる。

出来るかどうかなんて、やってみたことないので

分からないだろう。

しかし、数分に1台完成車が出来てくるラインで

毎日、自分の持ち場で同じ作業を延々とスピーディ

にこなさなくてはならないキツイ仕事。

と言うことを、いろんな角度からいろんな

エピソードを踏まえ話し、

最後には

あんたには、僕は、出来ないと思う。

と言い切ってきた。

はぁ?????

 そういわれて俺は、

熱血中高生の夢追い塾的な企画でもあるまいし、

どんな答えを欲してるのか?

居ないのか?

そんなことない!!僕はやります!!やって見せます!!

とでもいうべきなのか??

3時間もかけて指定日の指定時間に伺って(

これは、僕のほうが採用してもらう立場だから仕方ない

)、もっと、給与面、寮、等の実際的な説明を

聞きたいのに、

 彼の、「俺には勤まらない」という一言

で話はなんとなく終わりのような雰囲気をかもし出す。

彼は、それだから、「どう」という結論的な発言も無し。

なので、話はこれで終わりですか??

と聞くと。

彼は「そうです」

と言う。

「?????!!!!!」

隣で進んでいる別の面接は

あらゆる内容を細かく説明しながら手際よく

すすむ面接官の話し声や、

談笑が聞こえてくる。

。。。。。。。

 僕はもう一度聞き返す。

話はこれで終わりですか??

まだ、給与面や寮、採用から赴任までの流れ

などの話を未だ聞いてませんけど。。。

と言った。

 するとやっと。彼は

ああそうだったとでも言うように、説明をしなおし

始めた。。。。。。

 散々、僕には勤まらない発言をしていたにもかかわらず、

不採用と言うことも言うわけでもない。

???

 待遇面の話も未だ聞いてない、というか、面接は履歴書を

見て僕の半生の一部に、たった数十分の雑談のなかで触れただけで

彼の仕事のキツさのトークへと展開し、

あんたには勤まらないよ

で、終わり??

と聞き返したら

そうだ。

と言った。

はあ!!!!!????


 いや〜。

ま。僕が不適任に彼には見えたのならそれは仕方ない。

それだから、その場であなたは不採用。

と言うことだったのならば、

それも仕方ないだろうが、、、

こちらも真剣に就職活動してて

時間を割いて、交通費を割き、

やってきたのに、

一通り、やることちゃんとやってくださいよ!!!

と思ってしまった。

それで、僕がこの仕事を勤まらないとおっしゃるのは

分かりましたが、最初にこの仕事に就きたいと思った場合

どうしたら就けるのですか?

と本当に、まさに大いなる疑問を

投げかけたら

彼は、

 どうしてもやりたいというならやってみるか?

やりたいといわれれば採用する


と。。。。。

笑えた。。。。

彼の意図は知る由もない。

が、僕にしてみたら、なんか、いい大人が

おちょくられたようにしか思えなかった。

大げさかもしれないが。

 人が合う合わないがあるから、

たまたま、この彼とは何かが合わなくて、

隣で和気藹々談笑すら、世間話すら聞こえてくる

スーツ姿の細見の男性と面接官は

何かがバッチリ決まったんだろうなぁ。

なんて思いながら、

 面接会場を後にした。。


なんだか、ばかばかしくなってきて、やるかやらないかは

その場で決めなかった。

実際に赴任する場所も実家から車で4時間と遠いし、

あの、プライベート空間が気を使って過ごさなくてはならない

まさに寝るだけのためのような部屋しかない。後は仕事。

見たいな環境も。友達が居るからと思って

行こうと思ってたけど。。

なんか、心が折れてしまった。

情けないと言えばそうかもしれんけど、

すべてを踏まえて

あそこには呼ばれてない気がした。

 その後、家に戻って別の仕事を探した

あそこまでの好条件ではないが、家から通えて

稼げる仕事があることに気が付いた。

それを見繕っては応募していた。

途中、短期でクロネコヤマトの仕分けのアルバイト

にも夜勤でいったりしながら。

 アベノミクス効果で景気が上向き加減と言うことで

すぐ見つかるなんて思っていたけど。

 期待していた2件の工場の契約社員の応募は

ことごとく不採用。。。

もう1件は、こちらからいろいろな処遇面で検討し

こちらから辞退。。。

でなかなか決まらずに居た。。。

気が付けば5月も下旬。

いい加減6月からは働きたい

と思っていた矢先、

最後に応募していた仕事の代わりにと

僕が旅に出るためにお金を短期で貯めたい

と話していたのを知っていた、派遣会社の担当者が

電話してきてくれた。

僕にぴったりの仕事があると。

それが今回決まった

ダイハツと同じような期間工の仕事。

しかも待遇もいい。

しかも、自宅から通える範囲。

 隣の市でトヨタ系でハイエースなどを作っている

工場があるのを知らなかった。

もし、期間工にいくならトヨタかぁ

と思っていたので、まさか通える

範囲にあるとは思わなかった。

 仕事内容はキツイというのは採用担当者

が言っていたので分かる。

が、今回は通える範囲だし

斡旋する派遣会社の担当者が

物腰も柔らかく、なんとなく信用できる雰囲気の

同世代で、しかも誕生日が1日違いの同い年

だったこともあり。

 不安は無く。とんとん拍子に。

と言うことで、

2ヶ月に及んだ就職活動もやっと一区切り

付いたようで、来月から

残すユーラシア、アフリカ、オーストラリア、あと〜

もう一回南米??

の自転車旅に向け資金繰りに

奔走したいと思いま〜す!!
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2014年05月27日

就職活動最前線 前編

前職の地域おこし協力隊を辞めて

もうすぐ2ヶ月が経とうとしている。

辞めてからしばらくのんびりと

と言っても2週間くらいだけれどゆっくりと

仕事を探していた。

 仕事を探す際にイロイロ考えたが、

短期間でと言っても2〜3年くらいでサクッと

資金をためてやり残した自転車旅に復帰する

つもりなのだから何をするにも、正社員雇用

で働くよりも、契約社員や派遣社員で働いたほ

うが、待遇の面や、辞める際にも波風が立たなく

て良いんだろうと考えていた。

 前職の水周り機器の訪問修理の仕事は、

実に7年強働いたのでそれなりに1から10まで

こなすことが出来てお客には10人受けしないが、

必要な業務は卒なくこなして、売り上げもどちら

かと言えば上位。こなす件数も人よりはやっていたし、

それなりに給料も良かった。

 昔の同僚に就活している話をしたら、どうやら新年度

一人募集してるやらどうやら。実は、この仕事にもし、

戻るにあたって、非常に自分には慣れてるし、同僚の中でも

以前在籍していた頃は世代交代も進んで古参メンバー

になっていたし、通勤に社用車が使えるし、同僚は皆良

い人ばっかで、上司はとても面倒見のいい人だったので

普通に考えれば戻ったらいいやん。何て、親も言っていたが

、、、!!

しかし、拘束時間がとても長く、休みが超少ない。仕事がそれぞれ

ある一定のエリアを割り振られ受け持っていて、

修理受付は受付センターが365日受け付けているため休

みだろうが仕事が、当時はメールやモバイルサイトに

入ってくるため、休んでいても休んだ気がしない。

しかも、職種柄、訪問先は故障して困っている客先に

出向くため、クレームやら折衝等は茶飯事で、スピー

ディな対応が求められる。修理料金も説明し納得して

もらって修理し集金するのだが、振込みにして欲しい

と言われた場合、断れない。後日請求書を送っても、

払わないお客が時々存在し、確実に担当者が集金しな

い場合はその人の給料から引かれてしまうと言うスパ

ルタ?方式。という泣き所があり、不景気の影響で会

社の経営者がコストカットや手当の見直し等などを

迫ってきたため、僕が以前働いていた時より全然稼げない。

一部歩合給がいくら頑張っても付かないほどハードルが

上がって皆、やる気がなくなってる。と元の同僚が言っていた。

 そんなこんなで、2度と戻るつもりはなかったが、

募集してるのしてないのの話を耳にはさんで、本当に募集す

るつもりなのか?ちょっと上司に確認しておいて欲しいと、

この同僚に頼んでおいた。

 後日、返事があって、確かにそのつもりだけど、

また戻りたいと言うことなら、腰掛け的な感じで戻られて

も困る、また数年働いて前と同じように旅行に行くと言って

辞めるのなら、やめて欲しいと言われた。

 ん〜。確かに。。。。

企業の言い分は確かにその通り!!

だろうが、仮に数年でやめると分かっていても、

僕は7年やってた経験者。一から新人教育して1人前に

なるまで半年〜1年くらいはかかるだろうか?

それに、お客やメーカー、工事店、管材屋などの板ば

さみになるので頭を方々に下げたり、プレッシャーの

多い仕事だったので、新人がよく辞めるのも有名だった。

僕が在籍していた時でも10人以上は辞めていった。

なので、企業も割り切って期間契約的な感じで雇ったら、

使い勝手が良くて良いだろうに。。。。

 ま、ひとえに私の人徳の無さか。。。。笑

それに、あの職場に戻るのも生真面目な性格の自分には

嫌だったし。最悪の選択肢とでも思っていたから、

まためぐり合わせがあれば、その時はお世話になろう。

 
 そんなこんなで4月の終わりごろから頻繁に

求人情報誌を漁って、電話をかけていた。


やっぱり派遣か契約社員だ!!

てな感じで。

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 そんな中で目に留まったのが

自動車製造の期間従業員。

このあたりだと、トヨタが頻繁にあっち

こっちで説明会をやっているようだ。

新聞で目にしたのはスバル。これは群馬県で。

後は関西だとダイハツ。

三重にホンダ。

いずれも最長2年11ヶ月まで更新できて、月給

も無経験者が26万〜33万とかもらえて3〜4ヶ

月単位で更新していくんだけど、会社によっては

期間満了慰労金などのボーナスが出たり最初の赴任

手当てが条件を満たせば20万円もらえるような会

社もあり、いずれの会社も無料の寮を完備しており、

光熱費もタダ等のお金ためるにはもってこいの環境を

これでもか!!と提供している。

が、高待遇であるがゆえに仕事内容はキツイらしい。

勤務する部署は選べないらしく大体が組み立てと呼ば

れる工程でラインで流れてくる未完成の自動車の骨格に

部品をインパクトドライバーで組み付けていくと言う工程で

ひたすら自分の持ち場で同じ作業を実働8時間もちろん

休憩を挟みながら行う内容らしい。

が、自分のニーズにこの仕事はあまりにもぴったりだ。

実際、チャリ旅友達も数人これで資金を貯めて旅立っ

たと言うことを知った。それに、2月から関西のダイ

ハツで働き始めた友達も居て、一度話を聞きにいった。

彼はもう期間は連続していないが、3年もダイハツ

期間工の経験者だというツワモノ。

実際の寮生活や仕事や給与面の話を聞いてなん

となくイメージがわいた。

職場は入れ替わりが激しいようでさまざまな

人間が2交代で働いていてハードらしい。

寮は工場の目と鼻の先だが、とても辺鄙な場所

にあるため町へアクセスするのに車やバイクがない

と公共交通機関もあるようだが不便なようだった。

マシーンとして只、働くだけならこの上なく効率的な環境だ。

寮の敷地内に大手コンビニチェーンの店舗がはいっていて便利。

 寮は完全個室。でテレビ、エアコン、ちょっとしたクロー

ゼット、ベッドは標準装備。

トイレ、洗面所は他の2人の個室住人と3人で共同。

これは良くある集合住宅で階段から入り口を開けると

中に部屋が3部屋とトイレと洗面所があると言うよう

な間取りで、この3部屋をそれぞれの個室として使う

ような感じだ。ゆえに個室と言っても実際は玄関は一

つで個室が3個ひしめき合って隣接しているため、

隣に結構気を使わねばならないようだ。

2交代であるために自分が部屋に戻った時に眠って

いたり、これから仕事。と言うアミーゴも居るからだ。

 完全に他の2人を自分側に取り込んで

ムイムイ アミーゴ(めっちゃ、アミーゴ)

になってしまえば、ちょっとやそっとで近隣トラブル

になることは無いが、入れ替わりの激しい職場で言い

方は悪いけど素性の知れない隣人だけに、ナーバスな人

は気を遣って疲れそうな環境のようだ。。。

それに部屋が狭いために(6畳も無い)荷物も必要最

小限と言った感じ。お風呂は共同の大浴場が管理棟に

あってそこまでいって入るらしい。

そんな感じのちょっとオフの時のプライベート空間が

部屋だけと言う感じの環境だけど、これだけ付いて無

料なんだから文句は言えない。むしろ有難い。

 が、ちょっと窮屈なような気がした。僕には。

しかし、友達曰く、

以前彼が働いた数年前は相部屋だったとか。。。。

マジっすか!?

仕事で疲れて戻って、さらにプライベート空間ナシって。。。。

そんなときからやってる彼を尊敬。

彼曰く、体力に自信のあると言う自衛官あがりの

人とかが入ってきて大丈夫!体力には自信があると

豪語していたのに。。。。辞めていったり

とか。そういう能力ではないようだ、必要とされるのは。。。。

彼が初めて期間工をやった時、最初の数ヶ月は

職場で無視され続け、作業途中に腰をやらかして

起き上がれなくなった時、職場の人間に

立て!根性出せ!と足蹴にされた経験を語ってくれた。

彼曰く、

ギックリ腰は気合で治る

らしい。。。。。。。笑


また、数分に1台完成車が出来上がるラインは

ラインを止めてはならないと言うプレッシャーもあると言う。

慣れてしまえばいいのだろうが、

最初は。。。。。笑

気持ちの殺しどころをうまく抑えれば。。。。

なんてことも。

ま、同じ事象が起こっても、それを捉える人間によって

生まれる選択肢や展開は様々だ。

こんな好条件な待遇で稼ぐことが出来る仕事はあまり

他に見当たらない。

 最初は彼の居る工場に入るつもりで居た。

友人が居れば、寮生活も楽しくなるだろうし

そして後日面接へ。。。。。



後半へ続く
posted by yutaka at 19:18| Comment(0) | 日本

2014年05月19日

就活


ゴールデンウィーク明け

自転車旅の先輩で、僕の自転車を世に送りだしてもらった

自転車屋さんを紹介してくれた友人が

旅に出た。

 僕が出発した2009年にはすでに一回目の旅を

ひと段落させ、北米で働いていた。旅先では一度も会ったことも

もちろん旅に出る前もなかった。

 その時すでに彼はオーストラリア、ニュージーランド、そして

アメリカ大陸を北中南米と一周して、足掛け6年、無帰国でチャリ旅を続け

資金の充電のために北米で就職していたと言う超ツワモノ。

 彼は無帰国で世界一周を目指していたが、いろいろな問題のため

奇しくも、僕が帰国した2012年の同じ3月に、実に10年振りに日本に

帰国した。

 10年。。。。

その時間の長さはいかばかりか?

とても想像が及ばない時間だ。

僕の旅は2年と8ヶ月だった。

それでも長かったと感じた。

そのゆうに2倍の時間チャリ旅をし、その後異国で定住生活。

丁度、帰国時期が一緒だったので、東京へ行った時に

コンタクトをとって会うことになった。

本当なら、旅先であって遊びたかった〜。

と思っていたけど、念願のアニキと対面。

思ってた通りの気さくで明るくて面白い

憧れの兄貴って感じの人だった。

期間は違えど、同じ手段で同じ地域を旅した2人

昼から夜まで短い時間ではあったけれど、

旅談義に華を咲かせ、本当に楽しいひと時だった。

その中で彼はこの先のプランについて語ってくれた。

 自分は世界一周自転車旅が夢で夢半ばで止まっている。年齢や家族などなど

いろいろ状況はあるけれども、自分がこのままやりきらずにこのまま終わった

として、死ぬ間際になった時、自分はやりきらなかったことを後悔するだろう。

だから、自分はまた資金を働いて貯めて、残りの世界を走りに行くと。

まぁ、言葉は正確ではないけれども大体こんな内容だった。

 僕も帰国に際して、帰国後もいろいろと迷った、悩んでいた。

でも、その中でいろいろ考えた挙句に頭に浮かんでくるのは

チャリ旅だった。

 あれから(帰国して)2年。

彼はその言葉通り、夢のために準備して

今月、そのコマを再び進めた。

 僕も丁度時を同じくしていろいろな迷いから脱し、資金を貯め直そう

と実家へ帰ってきたところだった。

なんとなく彼の人柄や生き方、僕よりも全然すごいし、先輩だけど

親近感を覚えていた。出発前に僕も資金貯め直して追いかけます、今度は

旅先で会って遊びましょう!!って報告した。

 影響されやすい僕の性格だからではないが、旅していたときが

一番輝いていた。いいことも嫌なこともたくさんあったけど。

日々自分で対処して乗り越え進んでいた旅中の自分が一番若々しく

輝き、力強かった。その頃にもう一度戻って、人生を進みなおしたい

そう考えるようになったからだった。


 そんなこんなで先月末くらいから就活中してます。

が、短期で条件いいところって(もちろん給与面)なかなか

無い様で、その中で模索してアポとって面接行ったりしております!!

いい加減6月からは働きたいなぁ。と思いつつやっております。


posted by yutaka at 19:15| Comment(0) | 日本

2014年04月30日

方向性

僕の旅は途中で一旦お開きにしてきた。

一応、北中南米縦断はやった

しかし、世界は広い。し、

一度やってみると、準備段階でこうすればよかった。

とか、今度やるなら、こうしたいとかいうことが

多々出てくる。

2009年から2012年の旅をとちゅうで終わらせて

戻ったのは、気まぐれと、倦怠と、将来への不安だった。

40も近くなって焦りとか不安が出るのも

当然のことだろう。

身の振り方を決めてから、日本での生活を安定を手に入れてから

また、旅をしよう。

旅中に出会った日本人旅行者で、僕の親と同じ年代の人に出会い、

それを見たら、「旅はいつでも来られる」

そう思えて、アメリカ縦断完了と言う

切りのいいところで

当初の予定の約半分の期間、半分の資金を残して

帰国した。

帰国してからは、いろいろな思いをめぐらせて、

いろんな道を模索した。

旅中は、人生の中でこの上なく力強く、若く、元気だった

けど、帰国後の2年間で、ぐっと老けたような気がする。

結局、あがいてはみたものの、やりたいことは

旅。だった。

確かに旅はいつでも、行けるだろう。

気持ちと、金と元気さえあれば。

しかし、感性は今の自分と、10年後、20年後の

年老いた自分とでは、格段に違うだろう。

年齢を重ねたなりのよさがあるだろうが、

やはり、もう1ラウンドやるなら、

やりたいなら、

今しかない!!

そう、おもった。

過去には戻れないから、一番若い、今の自分だ。

2年間のというかもうすでに1年後にして

残して帰国したはずのたび資金が消えていった。

なので、また一から資金の貯めなおしだ。

どうせやるなら、2ラウンド目は1ラウンドの教訓や反省点を

生かして、針を振り切って、全身全霊、やりきって来たい!

なので、残る、ユーラシア、アフリカ、オセアニアと全部やりきる

だけの資金をためて行くつもりだ。

あらゆる努力と労力を

第2ラウンドのチャリ旅に合わせて

行こうかと。

 新年度の春、帰国後働いてなかったわけではないですが、

本格的な就職活動しております!!


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しかし、履歴書に書く内容がいろいろ

動くたびに、増えて行くのが、

なんとも自分の足跡、時代を感じさせるなぁ

何て思うこのごろです。
posted by yutaka at 18:55| Comment(0) | 日本

2014年03月01日

憂鬱

僕は、よく、無鉄砲に突っ走る

やってみないと分からない!

と。

それで、結果、うまくいけば、

よかった、よかった。となるのだが、


失敗すると、大変な目にあう。

いまが、その大変なときだ。

新しい旅立ちには

別れがつきまとう。

新しい生活にシフトするまでは、

精神的な艱難辛苦がまっている。

しかし、ここのところ、無鉄砲に走りすぎた

せいで、心の余裕の貯金が底を尽きている。

こんなときは、つらい。

まるで、うつ病でも発症しそうな勢いだ。

ま、自分で蒔いた種か。

あー、早く、旅行きてぇ。

自分のしたいこと、追いかけ続けるべきだったんだなぁ。

後悔先に立たず

だが、人間の特性で、なにをやっても、絶対、後悔はつき

まとう。

だから、後で悔いると書いて、後悔。

だったら。今の自分は正しいんだ。

次は、ひとつ選択肢が減ったから、ひとつ、成功に近づいた。

暫くは、落ち着いていたいなぁ。
posted by yutaka at 01:17| Comment(0) | 日本

2014年02月15日

葛藤

1976年

この世に生を受けた僕は

今年の3月16日で38周年を迎える。

この38年間自分なり精一杯に生きてきたつもりだ。

この30代後半という年、

僕はなってみて初めて分かったけど、かなり微妙な年頃

いうなれば、若いというわけでもなく、年というわけでもない。

丁度、いろいろな想いが交錯する年齢ではないかと思う。

今までは、考えもしなかったが、後、12年したら、50歳

22年で60、還暦。

そう考えると、果てしない焦燥感に駆られるが、

鏡を見ると、細かいしわや肌のキメは20代には及ばないが、

なんら、20代のころと変わらないように思えるし、第一、そんな思慮深い

大人にあの頃と比べてなった気もしない。

 まだ、女の子にはモテたいし、世界中を見て回りたいとおもうし。

が、しかし、30代後半。

う〜ん。

僕は、33歳になって初めて国外に出た。

2年と8ヶ月、およそ3年間無帰国でアメリカ大陸を走って

帰国した。

 あの、体験が忘れられない。

今の僕に活力と希望を与えてくれているのも

旅があったからだし、また、絶対に行く!という希望を持っているからこそ

今、僕は存在しているんだと思う。

ほど、強烈だった。

戻って、36歳。

あれから2年という月日が流れた。

帰国した時の理由は

旅は、金と健康があればいつでも来られる。

だから、今は日本で足固めを。

と思って帰国した。

 自分なりに思い描いていろいろ夢を見てみたが、

考えが甘かったのか、運が悪かったのか、うまくいかず。

金だけが消えていった。

 日本の現在の社会のシステムは、昔よりは実力主義になってきたとはいえ、

依然として、古い昔のシステムの上に成り立っており、其の上、続く不景気の影響

で、セカンドチャンス、サードチャンスを願う者にはやり直すのが非常に難しい世の中になっている

ようだ。新しいスキルを身につけるために学校に通おうとすれば、先ず、高額の入学金と授業料が必要となる。

 ま、そんなこんなで、38歳

ま、不景気でも、今ならスキルがなくても、就職口があるようだ。

給料はもちろん安いだろうが、2〜3年我慢して必死に金をためれば

また、旅にいけるだろう。

仮に、そうして旅を5年して、

帰国した頃には、46歳。

資格なし、経験は、前職ならあるだろうが、果たしてそんな募集がうまくあれば

良いだろうが、これから、世の中の情勢がどうなるか分からないが、

かなり不安だ。

 う〜ん。旅は出来るだけ若いうちに行きたい。

しかし、帰国後が心配。

今、頑張って何かの資格を取っておいて。。。。。

しかし、そんなに簡単に取れる資格なら、みんな取ってるだろうし。

と日々悩んでいるこのごろ。

 思いついたのは、看護師。これは、3年生の看護学校に受験をして入って

3年間みっちり勉強して3年後に国家試験を合格して晴れて免許がもらえるもの。

其のあと、就職して経験を積み一人前になっていくもので、最近は不景気の影響か?

資格を取って長く安定して働きたいという人が増え、30代や40代でも目指している

人がいるようだ。

 ただ、看護学校自体は、年齢制限等を設けていない学校もあり、何歳でも実力さえあれば

入れるようだが、やはり、周りは圧倒的に新卒の10台の女性が多くを占める中、同じクラスで

学び、学校生活を送ることなど、かなりハンディキャップを背負っての学生生活になること。

また、学生になること=無収入となるので、学費等の捻出問題が出てくる。

 仮にこれらの問題をクリアーして、今年1年受験勉強して、晴れて39歳で学校に入学して

3年後42歳で晴れて新人看護師になったとして、就職先が42歳新人看護師を必要としてくれるだろうか?

そして、もしうまく就職できたとして、経験を積むため、お金を稼ぐため、3年頑張って45歳

お金たまって旅に出たとする。

 5年旅をして50歳で帰国。

50歳の実務経験3年の看護師に就職先があるだろうか?

不安が募る。

何にも不安はつき物だろう。

思い描いたように行かないのが人生だろう。

しかし、僕は、もう一度チャリ旅がしたい!!

この世で一つだけ願いがかなうとしたら

チャリ旅がもう一度満足いくまでしたい!!

最善の選択肢、チャンスを考え葛藤する日々です。
posted by yutaka at 21:00| Comment(0) | 日本