2011年05月20日

愛しのアンデス

ロハの町に着いたのは3日前

1泊で出るつもりが、

もらった日本のテレビドラマを見始めたら、

止まらなくなってしまい、

結局、3泊。

ニートのような生活を送る。

なぜか前日まで快晴だったのに、

出発しようとすると怪しい雲行き。

しかし今日は何としても出るんだ!

そう言い聞かせ。

紫色の愛車にまたがる。

目指すは100キロちょい先の町。

今日もゆくは、アンデス山脈。

500メートル上がって

1300メートル下がって

1100メートル上がって

500下がる。

ルート。

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目的地の標高は1800ちょい。

だいぶなれてきたアンデス走行。

合間に見せるアンデスの大自然の姿は

まさにナショナルジオグラフィックの世界。

疲れもすべて一気に吹き飛ぶ美しさ。




コロンビアから続いたアンデス第一ラウンドも

あと少しか。。。。

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2011年05月18日

意外な再会?

北部アンデスも終盤に差し掛かり。

毎日のように絶景の中を「はぁ〜」

と、ため息にも似た歓声を吐きながら

やってくる激坂を時速5キロちょっとで登る日々に

幸せを感じつつ。


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今日も峠の頂で昇ってきた道を見下ろしながらの昼食タイム。



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未だ日が高いうちに

目的の町サラグロについた。

町の入り口に見えた商店。

店の戸口にアイスクリームの冷凍庫が見えた。

アイス、アイス。

自転車を止めアイスを購入。

すると店の若い店主が話しかけてきた。

「どこの出身?」

「日本」

そういうと彼は携帯電話を取り出し

「日本人の友達の写真があるんだ」

といって操作し始める。

アイスをほおばりながら眺める彼の姿はこの地方の典型的なインディヘナ男性のいでたち。

背中まで下がる長髪を後ろで1本に編んでその上につばのついた黒い帽子をかぶって携帯電話

を操る姿はなんとも絵になった。

とここでレオが得意げに見せてくれた小さな写真。

「え!」

この顔知ってる!

なんと、去年の5月にグアテマラで別れた自転車乗りの友人、岳ちゃんだった。

お互いこんなアンデスの山奥のこの商店に入らなかったら・・・・。

レオは僕にも写真を一緒に撮ってくれと言った。

エクアドル、サラグロの町の入り口の商店、店主の携帯電話には

2人の日本人自転車旅行者の写真が収められている。
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2011年05月16日

南米2度目のキャンプ

クエンカを後に次はロハの町を目指す。

今日は走行そこそこにして、開けた山の尾根を走る道の脇に

キャンプにもってこいな場所を見つけた。

ずっと、北米以来、こんな気持ちのいいロケーションはなかったし、

地図で見るとロハまでの走行の都合上、町がうまい具合になかったので

午後3時そこそこだったけど、ここでキャンプ決定!


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道からはほぼ見えないロケーションだったので、早速テントを張る。

ずっと、曇り空だったエクアドル。


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久しぶりに青空が。

今日は星でも見れれば最高なんだけど・・・・。

日が暮れるまで、自転車いじったり、飯作ったりして

過ごしていると雨が・・・・。

ああ、やっぱり雨季はいけませんねぇ。

と諦めここで、だいぶ前にもらった日本のテレビドラマ鑑賞を

パソコンの電池が切れるまで。

しかし、今日は60キロそこそこしか走ってないから

一向に眠くない。

そういえば、雨音が聞こえなくなったと、外へ

そこには、雲の切れ間から満点の星空が


急いでカメラ用意するも、撮り方が分からず何度も失敗。

そうしているうちに、再び雲が・・・

結局、撮れず。

残念。

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2011年05月14日

バンデハ・パイサ!

最近、食事にというか、現地ごはんに少々飽きが来ていた。

レパートリーがどこのレストランに行ってもほとんど同じ。

鳥か牛か豚。それにライスとサラダ、プラタノがついてというような感じ。

走りながら、あれ食べたい、これ食べたいとイロイロ考えていた。

和風におろしゆずポンで揚げ物を食べたら、最高に幸せだろうとか。

そうめん食いたい。とか

ハヤシライス食いたい。とか

餃子食いたい。とか

その中で2つ現地ごはんで食べたいと思い浮かんだのが、

メヒコのタコスとコロンビアのバンデハ・パイサ。

タコスはメキシコに居る間ずっと食べ続けたなつかしの味。

そして、コロンビアごはんといえば!

バンデハ・パイサ!

アボガド・チチャロン(豚の皮肉を揚げたもの)・カルネアサダ(焼肉)

・サルチーチャ(ソーセージ)・目玉焼き・フリホーレス(豆の煮物)・ライス等

すべてが詰まったオールインワンな国民食。まるで、子供の夢を叶えたかの様な一品。


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これが本国バンデハ・パイサ。


コロンビアを走っていた頃、これだけは飽きずに食べていた。


しかしここはエクアドル。

しかも、ペルーまであと400キロに迫った南のほう。

ああ、バンデハ・パイサ

恋しいなぁ。。。。と思って、クエンカの町を町歩きしていると、

レストアウランテ・コロンビアーノの看板が。


ひょっとして、アレがあるのか?

と、丁度夕飯時。

入ってみると、店主らしき男性がメニューを持ってやってきて、

「コモ・エスタ?」と握手をしてきた。

何てフレンドリーな。まさにそれはコロンビア。

そしてメニューには最初に開いたページの一番最初にそれはあった。


しかし!お値段何と!US6ドル。高っ。

大体2〜3ドルが相場の外食。

倍する。

しかし、食べたいバンデハ・パイサ。


迷った挙句、

これください、バンデハ・パイサ。

20分以上待っただろうか?

ついに登場バンデハ・パイサ。



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あのシャキーラも愛しただろうか? バンデハ・パイサ。

頼んでよかった、バンデハ・・・・。


満腹と大満足でレジにお金を払いにいくと、

奥さんらしき女性が、

「飲み物、何か飲む?サービスで出すから」と

ジュースを一杯ご馳走してくれた。


夕食後町歩き。ここも世界遺産。

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クエンカにて。

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2011年05月12日

クエンカの家族

昨日は途中激しい雨にやられて走行も50キロそこそこで止め、現れた町の安宿に逃げ込んだ。

今日は、昨日走ろうと思っていたクエンカの町まで走ります。

ここビブリアンの町からクエンカまでは40キロくらい。激しいのぼりも下りもないようだ。

天気も最近ないくらいに太陽が顔を出して晴れ間が見える。


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心地いい陽気。

サイクリング日和。



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程なく見えてきたクエンカの町。国道の右手の少し高くなった丘の上に町が広がっている。

セントロへの標識を頼りに走っていると。

後輪パンク。

11回目のパンク。

タイヤをはずしてみてみると。5ミリくらいのガラス片が刺さっていた。


修理も済ませ、セントロへ

町は世界遺産。

道は石畳で走りづらいなぁと思いつつ、

信号待ちで止まっていると。

横の車から声がかかった。

「どこからきたの?」

30代か40代くらいの若い夫婦と1歳前後の男の子。

信号待っている間僕らは話し込んだ。

旅の話やらをさらっと話してると

信号が変わった。

すると運転席の男性が

「飯食った?未だならこれから食べに行こう。ご馳走するよ」

と僕に車のあとをついてくるように言った。

ちょっと迷ったが、せっかくの好意と、面白そうな展開にその先が見たくなって

ついて行く事に。

程なく車は路肩に止まって、2人が下りて来た。

「レストランはそこだよ、行こう」とフェルナンド(旦那さん)

つれられるままに自転車を押してついてゆく。

席について自己紹介し、フェルナンドと一緒に注文カウンターに向かう。

何がいい?といわれて、なるべく安いのを選んだ。牛肉の焼いた料理だった。

すると、フェルナンドが「今日はセマナ・サンタの金曜日、肉は止めとこう、

シーフードはすきか?」と言った。

おごってもらう立場上、何でもいいですという感じだったが、

その料理はメニューの中でも1番高いものだった。

どうも、フェルナンド家は裕福なようだった。

後で気づいたが、車もプジョー。コロンビアの首都ボゴタにも住んでいたと言っていたし、

南米のほかの国の話も良く知っていた。

息子のホアキンはやんちゃで、なんにでも興味を示し自分の靴を振り回していた。

奥さん(名前聞いたけど忘れてしまった、すんません)も美人で気さくな感じでイロイロ

質問をしてくる。

本当によくしてもらって、温かい家族のなかに混ぜてもらって幸せをもらったような気がした。

楽しいひと時を過ごしレストランを後にした。

するとフェルナンドが泊まるとこは決まってるのか?と聞いてきた。

町に着いたばかりの僕はこれから探すよ。といった。

すると、親切にも、安ホテル街まで案内してくれて

僕らはここで握手を交わし別れた。

本当に気持ちのいい夫婦だった。

雨が今にもふってきそうな午後。

町はサマナ・サンタのせいかとても静かだった。
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2011年05月10日

南米初キャンプ!

今日は100キロ先の町まで走って宿を取るつもりだった。

朝、8時ちょっとすぎにアラウシの町を後にした。

アラウシがおよそ標高2300くらい。

そこからずっと2600まで上がる。

そして再び2300まで下がって

また2500まで上がって

また2200まで下がって

また2600まで上がって

また2300までさがって

そんなこんなで結局午前中は35キロほどしか走れなかった。

それにとにかく腹が減っていた。

最近良く食べるようになった。

それなのに体は人生史上最高に引き締まって腹筋も割れ出し、下っ腹の贅肉もなくなって

フラットになっていた。これもアンデスマジックか?

とそれはさておき、

ここで出てきたチュンチという町でレストランに入った。

ここで食事していたオッサンが話しかけてきた。

どこまで行くんだ?

どこから来た?

そんないつもの会話をしていたが、

最後は僕のことをアミーゴと呼んでいた。

僕が「なに食ってるの?」

というと「チュラスコだ、これはいいぞ」とオッサン

確かにうまそうだ。

僕もあれ頂戴と店員に頼んだ。

チュラスコとは焼肉。それにポテトフライやサラダやライス等がついた定食。

ボリュームもあって、すいたおなかには最高だった。

食事を終える頃にはオッサンは先に食べ終わって居なくなっていた。


さて、午後の部。ここから3000くらいまで上がります。

って、目的の町までつけるのか・・・・?


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ずーっと、ずーっとひたすら、じみーな坂道が続いていた。


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上れども坂。

次第に雨も降ってきた。

上り坂に雨。

しかも自転車。

最悪な組み合わせ。

雨具を着ていても、

自分の汗で中までベタベタ。

靴もベタベタ。

しかも標高2800。

寒いです。止まると、寒いです。

疲れても休憩できません。寒いし、

どこに居ても濡れます。

雨宿りできるような場所もないし。

しかも、犬。

エクアドルの民家の番犬。

たちが悪い。放し飼いで1件に4〜5匹飼ってる。

やはり、頭数がそろうと強気になるのか、1〜2匹相手にしてるのとは訳が違って、

立ち止まって大声出して棒振り回して脅しても、

狂ったようにほえまくって諦めない。

本当に身の危険を感じるほど。

まだ、飼い主が出てきて制してくれればいいけど

出てこなかったり、留守だったりすると、

どこまでやっていいのか困る。

自分的にはとことんまでやり合ってみたいと思っているが・・・・。

今回も5匹に散々ほえられ。俺はマジ切れ。

いつでもやったるわ!!!!

と、自転車道にほっぽって、棒振り回して絶叫。

奴らも絶叫。

飼い主不在?

けん制しながらも、自転車起こして押しながら前に進む。

あまりにしつこいので、また自転車ほっぽって、絶叫。

奴らはひるんで絶叫。

俺、完全に切れて棒振り回して追っかける。

奴ら逃げながら絶叫。

雨は降り続け、

その横を車がシャーシャー走ってゆく

何てシュールなんだろう。


すると1台の車が止まった。

降りてきたセニョール、は何と、さっきのレストランで会ったアミーゴ。

「大丈夫か?

ここはたくさん犬が居るし、たくさん坂がある、雨も降ってるから

上の町まで乗せていってあげるよ。丁度、俺もそこへ行くから。」

と親切にしてくれた。

が、断った。「せっかく自転車旅してるから、全部走りたい、走らなきゃ意味がないから。」

と。

すると、「そうか、ユタカ、じゃ、気をつけて行けよ。いい旅を!」

と手を差し伸べてくれた。

僕らは握手をし別れた。



その後もひたすら上りは続いた。

時間も午後5時を廻ろうとしていた。

依然として雨は降り続き。ずぶぬれの体は

アンデスのアップダウンにやられてヘロヘロ

すでに80キロほど走っていた。

よさげな野宿地を物色しつつ、どうしようか迷って走っていると。

民家が現れ、道の分岐にある小さな町が現れた。

やった〜とばかりにここで宿探し。

町の若者に尋ねると

「ホテルなんてねーよ、40キロ先の町まで行かないと。」

とつれない返事。

確かにそんな施設があるような規模の町ではなかった。

しかも、彼の後ろに居た奴が「チニート、チニート」

とほざく。少々、疲れた体にムッとしてしまった。

※チニート、チーノとはアジア人を少々馬鹿にた意味合いで呼ぶ呼称。本当は中国人を

なじっているつもりなのだが彼らはその辺が無知なのでアジア顔はすべて中国人と思っている。

日本も中国の一部だと本当に思っている人も多い。

さて、町を離れたが、民家が坂に沿ってずっと続く。

犬もなぜか必ず飼っていて、

熱烈な歓迎を受ける俺。

しかも降り続く雨に上り坂、しかも工事中の路面は超ダート。

ホテルなし。

民家続いて野宿地無し。

自転車を降りて犬とやり合っていたのでそのまま

追いかけられないように自転車を押して上がっていた。

次第に民家は途切れ。


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翌朝撮影。



やっとよさげな野原が道路わきに。

今日はここでキャンプしよっと。

ヘロヘロな1日だった。
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2011年05月08日

アラウシにて。

今日たどり着いた町、アラウシ。

3200メートルからのダウンヒルを1000メートル下がった谷底にその町は在った。

不思議なキリストの巨像が小高い丘にたたずむ小さな町。

小さいくせにメインストリートには見えただけでもホテルが4件。

決めた宿のおかみさん。

僕に「中国人?日本人?」とチェックインのため名前やらを書いていると聞いてきた。

「日本人だよ」というと、

「そう、うちの息子はチーノ(中国人)なのよ」

とさらっと言う。

どう見ても彼女はアジア顔ではない。

旦那が中国人なのか?

娘婿が中国人なのか?

「へーそうなんだ。」

と。ひょっとしたら目が一重で細いのかも。

よく、あだ名で目が細い人をチーノ、チーナと呼ぶ。



すぐに宿を決め、洗濯、シャワーを済ませ、キリスト像の丘へ。


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ちょっとした町の公園のようだ。

ここでイチャついていたカップルの男のほうが

僕が傍を通り過ぎる時に「チーノ」と言って来た。

僕は「ソイ デ ハポン、ノー チーノ」

と言った、しかし彼は「ハポン・チーノ」と続ける。

はぁ、全くいつもながら何がしたいのか?何を明確にしたいのか?意図が分からん。

訂正しても、「おい中国人」と言うなら、もう彼らの中では中国人なのだから、

言葉に出して言う必要もないだろうに。

それに、その後何か会話を求めているわけでもないくせに。

日本を出るまでは全く感じたことのなかった人種差別?という感覚。

全く文化の違う異国ではじめて肌で感じ。考えさせられる。

皆がみんなそうではないのだろうけども。

確かに中国人がやってきたことに対する反応なのかも知れないけど。

中身や個人を見ることなく、顔が自分たちと肌が自分たちと違うから。

一からげにこうだ、と決め付ける。

さみしいことだなぁと感じた。


と、それはさておき。

この町は町の中を線路が走り小さい駅には列車が。


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こんな山の中によくもまあ鉄道を通したもんだなぁと関心させられた。


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現役で走ってる・・・・?んだろうなぁ。


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さぁ、明日もアンデス。上り坂です。

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2011年05月05日

20世紀の負の遺産

キトを5泊したあと

旅を進めるべく自転車にまたがった。

現在エクアドルは雨季真っ只中。

連日雨続きだったが、出発の前の日から朝から雨が上がっていた。

人口140万都市のキト。

出るまで20キロほど走った。

が、

自転車旅をしている僕のような人間は。

車の走る道路を走る。

まぁ、当たり前なんですけど。

いままで気づかなかったことに

なぜか今頃気づいた。


それは車の吐き出す「排気ガス」

大都市には付き物の話だけど。

これがひどい。いままで気にならなかったのが不思議なくらい

のどや目が痛くなるほど。

毎日、365日、黒煙を吐き出している。

世界中で。

それだけ世界で排ガスを吐き続ければ、

そりゃ、地球も温暖化するわなぁ。

と、納得させられた。

チームマイナス6パーセント

本当に出来るのか?と疑いたくなる。

しかし、これもそれぞれの意識が変わらなくてはならない。

「今、自分たちがよければ」の時代から「未来の、次の世代のために」

へと、先ずは、満たされた生活を享受している私たちが

変わり、回りに姿勢を示していかなくてはいけないのでは?

自転車は排ガスを出さないクリーンな乗り物。

日々、漕いでいれば、体もハリウッド俳優のように締まって

健康にもいい。

運動した体には飯もウマイ。



さぁ、明日もアンデス山中

登りは、1500メートルっすかぁ?。。。。
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2011年05月02日

エクアドルへ行こう!

キトでの用事。

友達と会う以外は

特になかったので4泊で出ようと思っていた。

それを3日目に考えていて、明日は何しよう?と思っていた。

自分はあまのじゃくな性格で、みんながすることやることはやりたくなくなる。

だから、ベタな観光地へいくのも、あまり興味がないといきたくない。有名な場所でも。

ここキトからメトロバスとローカルを乗り継いでいった場所に赤道記念碑という

本当の赤道から少しずれたとこにある観光地がある。

天気が良かったら、せっかくだしいってみるか。。。

と、いつものあまのじゃくな性格のさらにあまのじゃくな選択をしてみた。

ここエクアドルのこの名前。知っている人は知っている。実はスペイン語でズバリ「赤道」

もし日本が赤道にあって「赤道」という名前になりました的な感覚か・・・?



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リャマ?


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「われわれは十分伐採し、種を絶滅させてきた。それらすべてを我々がなし終えた時、

我々に何が残るだろう?我々は、一本の樹木のようであり、理解しなければならない、

もし、自然を大切にしないのならば最後には、(私たちが自然に対してしてきたと)

同じ待遇を味わうことになるだろう事を。」

と書いてあった。

確かに。。。。



モニュメントがあり展示物がありみやげ物やにレストランに公園。

日本でもある感じの、日曜日に子供つれて来たらええやろうなぁ〜というような場所でした。


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と、ここでアイスクリームをどうぞ。





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2011年04月30日

キトで会いましょう。

エクアドルにはいってから

走行4日間。

でエクアドルの首都キトに着いた。

ここで、グアテマラで昨年末に出会ったバックパッカーのあさみちゃんと再会の

約束をしていた。

世界周遊券で一周中の彼女。

3月中ごろに帰国の予定だったが、地震の影響で、帰ってからの就職先との

時間の調整で帰国を延ばし、エクアドルのカノアという港町で毎日サーフィン三昧の日々を

送っているとの話をコロンビア旅の終わりごろ知り。

だったら会えるんちゃう?見たいな感じで

お互い旅の進行の様子を見ながら連絡を取り合っていた。

この旅でアフリカ、ウガンダの孤児院と孤児たちの支援に出会い、新しい生き方を見つけた彼女

とても年下とは思えないほどしっかりとしていて、仕事も出来るキャリアなんちゃら。

いや〜、自分もしっかりせんとあかんなぁ。といつも思わされます。

 昨晩、とまった町から30キロほどでキト。ですが、手前に700メートルほどの長い長い上り坂

が。。。

キトは標高2800メートルにある都市。雨季真っ只中の今はよく雨に降られます。

案の定、上ってる途中でふられつつ。

坂の途中の飯屋で昼食タイム。


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エクアドル料理。

とうもろこし、肉、豆、プラタノ、サラダなどワイルドな調理法でなかなかウマイです。

飯を食ってると外に止めてある僕の自転車を、ビールの配達に来ていた若者が興味深そうに

見ながら仲間になにやら話しかけてます。

 
さて、あともう少し。登りますか。。。


2800まで登りきるとそこは広大な都市が広がっていた。

目的の宿スクレはセントロイストリコにあるので一番南のほう。

それまで新市街をひたすら走ることになるが、

登りきった達成感と盆地になってるので地味な下り坂が続き爽快に走れた。

大都市は道のつくり方も車本意。

地図を片手に走りますが、一方通行だったり、中央分離帯があって向こうに渡れなかったり

と苦労します。

 おかげで今日も迷いに迷って何とかセントロイストリコに。

世界遺産のコロニアルなスペイン統治時代の狭い町並みをメトロバスが走る姿はエキゾチックで

宿はその只中にあった。

 なんとこの宿1泊4ドルと激安で、ネットは世界遺産の町がよく広場とかに飛ばしているWiFiが

野良電波として拾える。僕のあてがわれた部屋はPlaza San Franciscoに面した3階の角部屋。

他の部屋にないベランダ付で広い(らしい)。でも4ドルは変わらない。

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 さっとシャワーを浴びて、昼食兼の町歩きへ。

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宿に帰ってしばらくしたらあさみ氏が部屋に入ってきた。

おおおお

感動の再会?

グアテで分かれてからのお互いのその後の旅やグアテに居た時のお互いの知人の、

その後の話で盛り上がった。

彼女は1泊でカノアに戻る予定。

その後帰国日の今月末迄、忙しくチリ、オーストラリア?(たしか・・・・)経由で日本へ。

帰国した足で東北地方の被災地へボランティアに行きたいといっていた。

いや〜、俺ももっとしっかりしないかんなぁ。自転車こいどってええんかなぁ?笑

さぁ、夕飯でも食いにいきますか。
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2011年04月28日

あさきゆめみし ゑひもせす


今日はコロンビア最後の日。

最後の町イピアレスに泊まったホテル。ホットシャワーがふんだんに出て

中央広場に面した前面ガラス張りのちょっと割高な(30000ペソおよそ1350円)の

ホテルの2杯目のフリーコーヒーを飲みながら、テレビでハウルの動く城を見ていた。

どうやら昨日、おとといと降り続いた雨も今朝は上がっているようだ。

今日は、この旅、第12カ国目のエクアドルに入る。

国が変わるので、テンション高め、それに雨続きだったので、気持ちよく走れそうな今日の陽気

に気分上々。

さて、行きますか。


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中央広場(セントロ)の今朝の様子。


国境には9時頃ついた。

コロンビア側のイミグレはすんなり、並ぶこともなくスタンプを頂き、エクアドル側へ。

エクアドルのイミグレは並んでいた。待つこと30分強。

順番が廻ってきてパスポートを提示。

「日本人か?」と聞かれ

「そうだ」の一言を交わしただけですんなり入国スタンプ。いただきました!

建物を出ると両替屋のおっちゃんが話しかけたきた。

が、すでにコロンビアペソは両替済みだと告げ、ツーリストインフォがあるか?聞くと丁寧に連れて行ってくれた。

そこで地図をもらい、また両替屋のおっちゃんと話す。すると観光名所を個と細かく教えてくれた。

そして、旅ついて聞かれたので、いつものように旅がどこから始まってどこへ行くのかなどはなし、

「良い旅を!!道はあっちだよ」とおっちゃん

「ムチャス グラシアス!!」と俺。

エクアドル人もなかなか人情がありそうだ。


イミグレからずっと500メートルくらい延々のぼりが続いた。途中トゥルカンの町を過ぎると

車が通行止めになっていた。どうやらお祭り?か何かあるらしい、が、お構い無しに車の合間を縫って前進。

警官も止めなかったのでいいのだろうと走っていた。

しばらく、車も何も走らないパンアメリカンハイウェイを

気持ちよく走っていた。すると前からすごいスピードでロードレーサーが坂を下りてきた。

車線も無視で。

どうやらロードレースの大会らしい。

邪魔にならないよう坂を上っていたら、上りきったところで人が集まっていてそこで警官に止められた。

後、30分ほどで終わるからここで待ってなさいと言われ。待つことに。

今日は何か競技大会でもあるの?と聞くと

案の定ロードレースの大会でここ3〜4日毎日キト(首都)のほうからやってきたそう。

よく聞くと、警官の車のラジヲからも実況ニュースが流れていた。




レースの様子。


30〜40分ほど待ってやっと終わりさあ出発。



しかし、感じたのはエクアドルの空の青さと雲の白さのコントラストの美しさ。

周りの景色がさらにそれらを背景にくっきりと原色に浮かび上がる。

標高が3000メートル前後と高いせいだろうか?

本当に息を呑むほど綺麗だった。

こんな原色の世界を目にするたびに、「神は確かに居る。」と

ろくに強い宗教心もないのに感じてしまう。






昼飯といってもチャンスを逃し2時ごろレストランに。

ここの従業員の女の子が飯を食っていると話しかけてきた。

コロンビア人でシャキーラと同じバランキージャ出身の彼女。

21歳だが1歳半の子持ち。出稼ぎでここで働いていると言う。

旅についての質問のほかに

日本からここまでの旅費は幾らかかる?とか

中国と日本は違う国ってホント?とか

中国と日本、どちらが技術先進国なの?とか

死んだら遺体を燃やしてしまうって聞いたけど、日本にお墓はあるの?とか

といった話をしていると。おくからペンとノートを持ってきて

私の名前を日本語で書いてとせがむ。

漢字で書いて欲しいらしい。

クラウディア。

う〜ん、急に言われると出てこんなぁ。

「蔵宇O亜」 ディが思い浮かばん。と考え込んでると

じゃあ、ヨハン、息子の名前だけどこれのほうが簡単?と彼女。

うん、「世半」

じゃぁ、アンドレイは?

うん「安土冷井」

ひらめくままに書いたがどうも「ディ」が出てこない。

小さい「ぃ」が漢字にないから難しいよと彼女に言うと

じゃぁ、「デイ」でと

結果「蔵宇出井亜」

ちょっと無理やりだったので苦笑いしながら彼女に言う。

彼女も笑っていた。。。

でも、たくさん同じ発音の違う文字があって特にルールがないから変えることも出来る、書く人によって

違うと説明したら納得していた。

その後、数字の数え方を教えてと彼女

漢数字でノートに 一・二・三・四・五〜十まで書いて

下にローマ字で発音を書く。

どう発音するの?と彼女

ローマ字を指しながら

イチ・ニ・サン・シ・ゴ・〜ジュウ

でも、他にも、ヒイ・フウ・ミイ・ヨウ・イツ・ムウ・〜トウ

とも言うというと、

え〜なんて難しいの!?どうやって覚えるの!?

それに書いた文字と発音を一致させるの

(要は漢字の読み方が、スペイン語と違って漢字はは表形文字なので発音の仕方が文字を見ただけで出来ないこと)?

と彼女。

それは、一つ一つ漢字に読み方があってそれを覚えるしかないんだよと僕。



確かにそういわれると明らかに日本語のほうが覚えること、ルールがスペイン語に比べて圧倒的に多い。

スペイン語のアルファベットは30文字だが、日本語はひらがな常用46文字、プラス、カタカナ、

そして漢字は一万語以上。確かに全部覚えているわけではない漢字。でも日常の読み書き

程度はおよその日本人がたしなんでいる。漢字の読み方も音読みと訓読みがあって数字の数え方も

イチ・ヒトツ・ヒイなど数種類。

人間何事もやれば出来るということを証明しているねこれは。


生まれてから自然に覚えてきた母国語。

外に出で異国の文化に触れ他者の観点で見たときに初めて分かる自分のこと、自分たちのこと。




笑いながらレッスンは続いた。飯の途中なのに・・・・。

4〜5回繰り返して

覚えた!とうれしそうにはしゃぐ彼女。自慢げに他の従業員に言い聞かせに奥へ走っていった。

あっという間にレストランでの1時間半が過ぎ。。。


残り20キロを走って今日の投宿地に到着。

明日はどんな1日が待っているだろう。
posted by yutaka at 00:00| Comment(0) | エクアドル