2011年02月04日

とある日の走行記録

中米の暑さ。

毎日、5時ごろ目がさめる。これは走るためではないけど目が覚めてしまう。

そして、6時半までに支度を済ませ、宿を出る。

このぐらいから日が昇り始め、町が動き始める。

早く出るのは、午後からの日差しがヤバイ程あついから。

なるべく午前中に距離を稼いで、午後は休み休み行く。

今日も午前中、頑張って走って、80キロ。

ここで手ごろな食堂に飛び込む。

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ホンデュラスも本日で最後。


といっても、昨日入国。そして今日出国。




国境に着いたのは午後2時半ころ。

国境には高確率で、親切にイミグレの場所を教えたり、いくらかかるとか教えてきたりして、
プロピナ(こころざし)をせしめようとする輩がいる。

今日も、いたいた。分かっていても、こういう奴。暑さのせいかかなりイライラして切れそうになる。

ホンデュラス出国審査はすんなり。しかしニカラグア側が長蛇の列でかなり待たされた挙句、
不親切な審査官の対応に半ば切れ掛かりながらも・・・・。

大人になって。グラシアス!

国境の商店で水を購入しようとしたときも。はじめは店主かと思っていた奴が実は客で
プロピナを要求。

アホクサ。腹を立てながらノー、ノー、ノー。

自分の国にやってきた訪問者にたかろうとするなや!と思いながら。

それでその国に対するイメージが出来上がってしまうのに・・・・。

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日本の援助で作られたという橋。ニカラグアでは結構この看板のある橋を見かけた。

本日走行107キロにて宿に。




2011年02月02日

冬の日差し

今日は、エルサルバドル滞在となる最後の町、30キロ先のサンミゲルへ。

7時宿を出てに出て、9時前には到着。

早っ。

ガイドブックに載っていた宿を聞いて探し。

投宿。



町の教会。

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ミサが行われていた。

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それにしても日差しが、暑い、暑い、暑い、あツーーーーい!!

本当に北半球の1月か?と思うほど。


人一倍暑がりの自分には。応える暑さ。


昼食は町のメルカドの食堂で。昼ビール!!

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その後、明日の朝町を出るルートの下調べに。


あまりの暑さに、帰りに見つけたアイス屋に飛び込む。


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至福の時。

2011年02月01日

あたらしいたびだち

朝、6時半に宿を出た。

今日は140キロ先の町を目標に。

驚くことに、午前10時頃には走行80キロを超えていた。

朝早く出るとこんなにも時間的に余裕があるのか。っと改めて感心していた。

90キロ超えたところで大きな川が現れた。

いい感じの川原。ここで少し早いけどお昼にすることに。

降りてみると、多くの家族が水浴びに来ていた。

ストーブを出して調理を始めようと準備してると・・・・。

後からやってきた大家族のお父さん2人が僕のほうにやってきて話しかけてきた。

涼んでるのかい?っと、お父さんA。

うん、だってめっちゃ暑いよ今日。と僕。

水浴びにみんなでやってきたの?と僕。

お父さんAが、そうだよ。

そんな会話が続いた。

料理している途中も、食べ始めてからも、3メートル先に座り込んでずっとこちらを見ている。

すると今度は、女性陣が・・・・。

僕の調理器具を覗き込むように眺めてる。

た、食べにくい。

それでも食事を済ませ
食べ終わった後、あと片付けしていると、お母さんAが一皿の料理を持ってきてくれて、

魚のから揚げは好き?と手渡してくれた。

正直、おなか一杯だったけど断るのも悪く。

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ありがたくいただくことに。

午後からは、日差しがやばいほど暑くなった。標高が20メートルとかの低地に来たせいか

死ぬほど暑い。そこへやってきてゆるやかではあるけれど上り坂。

ずーっと。

僕の自転車はシェラの日本人宿を出るとき計ったところ総重量およそ66キロ。僕の体重がおよそ73キロ。

なので、およそ140キロが坂を上ってゆく。

日差しが強くなかったら余裕なのだが、暑さで完全にバテていた。

しかも水も切れかけていて廻りに店も無い。

そこに通りかかったカキ氷や!!

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カキ氷ください!!

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これで、50センターボ。1ドルの半分。

めっちゃうまかった!

結局、110キロ位いったあたりで出てきた町のホテルに転がり込んで本日終了。

暑さには未だ体がなれて無い様。

明日は、残り30キロ。

余裕のサンミゲル。

明後日はホンジュラス入り。

2011年01月20日

永遠の連環

旅が動き出した。

新しい年。多くの人が新しい未来を願うあたらしい年の始まり。

僕の周りでもたくさんの人があたらしい未来に希望、夢を託し。動き始めた。

それぞれの想いを持って、それぞれの決断を下し。

旅に出ていろんな人と縁があって知り合うことが出来た。

出会いの数だけ、それぞれの人生があった。

僕らは、欲しい未来を思い描いてがむしゃらに前を見て進む。

時には傷つくことも、時には、思いがけず、幸せに出会ったり。

それぞれの人生にそれぞれ固有の形を背負って。

ヒトがこの世に誕生して以来、繰り返してきた。



永遠の連環。



おそらく、ヒトが存在し続ける限り紡いでゆくだろう想いの連鎖。

僕らはそんな中に生を受けた。

ある人は幼いその胸に受けたその傷を背負いながら、己が存在理由を問いただしながら・・・・。

ある人は犯した罪に世を追われ、新しい未知なる世界で生きることを余儀なくされ・・・・。

片や、新しい世代の誕生に幸せと責務を目の当たりにし、親として世代を紡ぐ存在に・・・・。

ある者は、どこまでも社交的に、どこまでも暖かく、どこまでも親しくあり続け・・・・。

ずっと夢見た己が願望のため、人には出来ない旅を完結しようと走り続けるもの。

ヒトとの関わりあいの中で苦しみながら、ヒトを愛することを知ったもの。

どこまでも真面目に、真摯に向上を願う者。

人に無限の愛を施して、見返りを求めることなく、多くの人生を見守る者。

あえて精神的に自分の限界に挑戦し、孤独と戦いながら、人を愛そうと努める者。

お互い求め合っていながら、お互いの未来と幸せのため、別れて生きる道を選択した者。

若く希望に満ちた新しい世代。将来に大きな野望と若さゆえの馬鹿っぽさを持って突き進む愛すべき

存在。

己が夢と、心の傷を背負いながら必死で未来を見て、自分の存在理由をこの世界に穿とうとする者。

すべては、それぞれの願う理想の世界のために。

すべては、叶わなかった過去の想いの、夢の実現のために。

すべては、平穏と、安らぎ、愛するものの永遠の幸せのために。

新しい世代と、未来のために。

僕らは紡いでゆく。




過去から未来へと。

叶わなかった想いを胸に。

失った、心地いい世界を回復するために。

出会った、狂おしいほど愛おしい世界の存続のために。


僕らは、語り出すだろう。



永遠の連環を。

2010年08月16日

8月15日

今朝、ステイ先で朝食を取りながら、テレビを見ていた。

僕が朝、食堂にくるとサンドラ(家主)が聞いていたラジオをとめて「テレビをつけていいよ」って言ってくれる。

僕のお気に入りは7時から始まるTVE、テレビエスパーニャ。スペインのニュース番組。時差があるので本国ではたぶんお昼のニュースだ。

 ニュース番組の人たちは超がつくほど早口で話す。ゆえに最初見たときはさっぱりといっていいほど意味不明だった。しかし、4ヶ月も経つとだいぶ耳が慣れてきて呪文のようなスペイン語の響きが耳に心地よく拾える単語も増えてきて、内容もなんとなくだが分かるようになってきた。

8月15日。日本の東京で終戦記念の式典が行われたニュースが流れた。今日は耳がさえていたのか、はっきりとキャスターのオネーサンが話すマシンガンのように放たれる文章が分かった。少し感動した。

不思議な気分だった。65年目の終戦の日に、グアテマラの家庭で見る日本の終戦記念のニュース。靖国神社の映像とともにスペイン語のアナウンスが流れ。そのニュースを台所で耳にしたサンドラが「今日は終戦の日?」っと僕に話しかけてきた。

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日本人宿の庭にて埋めたパンを警戒するボビー。

2010年08月14日

近況。

現在、8月13日午後3時48分。
グアテマラのケツァルテナンゴ、カフェバビエラにて。

この町に来てもうすぐ4ヶ月が経とうとしてる。
長居しすぎた感が否めない。

移動していないと毎日が淡々としてくる。生活自体は楽しいし生活するのは好きだが、退屈。飽きがきている。

旅に出てから今まで1度も医者のお世話になってなかったけど、最近持病?(歯が悪い)が復活したようだ。

と、いってもここはグアテ。歯医者がちょっと信用できない。(個人的意見)

なので、メキシコシティ滞在時、旅行者から聞いた腕のいい日系人の日本語の分かる歯医者さんの話を思い出した。

早速、電話して予約した。

来週末、メキシコシティまでバスで行く方向でいろいろと準備中。

シティに居る大切な友達にも会えるかも知れないので少しはいい気分転換にもなるかも。

憧れのシウダーメヒコへ!!